近況報告
2020年10月01日
社会と識者
ほとんどの世の中の人たちには全然関心のない証券取引所のトラブルのニュースが大ニュースとして取り扱われていますが、そんな陰に隠れてイタリアで国会議員の定数が900人以上であったのが600人に削減されることが国民投票の圧倒的多数で決定したそうです。そういうニュースは政府や役人ににらまれるので日本のマスコミは全く報道しようとしませんが、まあマスコミなんてそんなものでしょう。それでいて法治権力で受信料を聴取している放送局があるのですから、本当におめでたい国です。
ところで超大国では「護民官」の選挙運動が行われているようですが、そもそも選挙という制度自体、権力者が社会の一部に迎合して権力を行使して「御護りしますよ!」というメッセージを発して当選させてもらう制度で、その点、いろいろと報道されてはいますが極めて健全な様相ではないかとおもいます。あちらの社会にはいろいろな立場の人がいて白人と白人でない人、1%の超大金持ちと99%の低所得者、ニュー・リベラルとかネオ・コンサーバテイブ、各宗派の皆さん、マイノリティー、LVBTQ、お金持ち、貧乏だけど知識人、何らかの特権階級、などなど多種多様で、どこに照準を合わせたらいいのか為政者は大変に難しい選択だと思います。さて、日本はどうでしょう?ある人は「日本なんて東京ジャイアンツのファンで自民党支持者、とそうでない人の二種類しかいないよ」といいますが、私は他にもう一種類、「ソフトバンクのファンで自民党支持」の人もいると思います。いずれにせよおめでたい国民で、従って、日本の権力者は大衆をいとも簡単に操縦して既得権堅持ができてしまうようです。
さて日本御用学者会議の新しい委員の選考で、学者どもが推薦した6人が権力者によって不採用になったと報道されています。あまりにも当たり前です。こんなことでマスコミが騒ぐなんて驚きです。学者は権力者に迎合しなければ生きていけないのですから、これは古来からの常識です。権力への迎合は学者の本分、矜持、存在意義、ノブレス・オブリージェ、レゾン・デートルなのです。権力が権力である以上、事実も理屈も学問もありません。権力とはそういうものなのです(参考『神と国歌』M.バクーニン)。原発は安全で地震は来ない、放射能の除染も順調、オリンピックは問題なく開催できてトリチウムもどんどん流しちゃえ!そのうち日本でも「消毒液注射」が保健所で無料で受けられるようになるかも知れません。
それにしてもバクーニンは当時マルクスやネチャーエフ、ゲルチェン、ついでにジョルジュ・サンド、日本に来てハイネ、シーボルト、さらに伊藤博文や木戸孝允にも助言したということですから、こういう命がけの識者たちの叡智というか視点を今の人類も必要としているように思います。