2021年4月28日
公共空間の消失
五箇条の御誓文第一条に「万機公論に決す」がある。
「公論」とは公の空間で議論された内容だ。
今の日本には「公論」はない。「公論」が展開する「公共空間」もない。
誰もが権力者を忖度し、沈黙し、追従し、隷属し、権力の専横、搾取を欲しいままにしている。
メディアは
「〇〇氏がこう言った。」
しか伝えない。
1970年代、テレビは平気で権力者をコメディのネタにした。
「七時半だよクレージー」にはじまり、いろいろなコントで金権政治家や躓いた権力者を笑いものにする健全さがあった。
ばらまき当選した参議院議員の顔面にみんながパイをぶつけるコントが印象に残っている。11PMだったと記憶している。
ところが今は違う。
「オリンピックやって世界中から変異株を日本に集めてどうするつもり?」
「核汚染水海洋投棄するって、どうせデータはごまかしてるんでしょ!プルトニウムやストロンチウム、セシウム混じってるてのはグリーンピースとかが調べてすぐにバレるよ。国際的信用台無しだけど」
「飲食店は本当にけなげに頑張ってアクリル板設置してるけど意味ないんでしょ。それよか電車止めたら。満員電車なくさないでなにが「緊急事態宣言」とか吠えまくってバカじゃない」
「大騒動になってるワクチンだけど、ウイルスが変異して無効なんでしょ。一回目はタダで二回目から高額を請求されるって? だったらお前ら携帯電話屋か!」
誰もが思っていることをどこも報道しない。
権力の下、メディアは都合の悪いことは絶対に触れようとしないのである。