近況報告
2022年9月22日
「国賊葬? 世論沈黙、秋の空」
いよいよ「国葬」。酷葬、国賊葬、などと酷い言われ方ですが、岸田首相がいちばん「国葬」を中止にしたがっていると思います。
エリザベス女王の英国葬は全世界の40%が視聴しましたが、かかった経費は13億円とか。今回の日本の国葬はその倍以上のお金をかけて、一体世界中のどれだけの人が関心を持ってくれるのでしょうか?「故人も浮かばれないのではないか」との意見も紹介されています。私もそう思います。
自民党の大臣経験者も「安倍首相は国賊だ!」とまで発言したと報道されています。 彼に言わせると「国葬」ではなく「国賊葬」ということになるのでしょうか。
世論調査でも半分以上の国民?に反対されているのに・・・。
でも権力迎合マスコミは沈黙しています。結局台風とか地震とかとおなじ災害と一緒なんですね。国葬もマイナンバーカードも。
それに「こんどの招待される人って、それだけでリスクだよねぇ。いろいろとマスコミが黒い噂を調べて新たなスキャンダルの火種になるんでしょうから!」「カケーさんとかカゴイケさんとかヤブモトさんとかトーイツなんとかさんとか、それにお相撲のあの人とか、KC庁だった中村さんとか、あと提灯記者さんとかも、近しい人はみんな呼ばれるでしょうねぇ、当然」
「なんか集大成っていうか、週刊誌が『速報・国葬参列者全氏名徹底大公開!』とかいう特別号を企画してそう」
それにしても汚職五輪や汚染水海洋投棄、森友、加計、サクラといろいろな問題がさらに蒸し返される状況で、それでもオリンピックのように「やると決めたらやる」という強い強い強固な意志は、これはもう日本人特有の「負けとわかっていてもやる!負けとわかっているのであえてやる」的な、「滅びの美学」「敗者の花道」の価値観なのでしょう。一敗地にまみれたそこから何か新しい世界が始まるのではないか、という精神構造によるものなのでしょう。歴史認識としてマスコット・キャラクターにまでケチが付いた「汚辱五輪」に終わった東京五輪は大失敗に終わっりましたが、「大阪万博」も焼野原に終わる惨憺たる結果をこの国の上部構造は大いに期待しているのかもしれません。カドカワ監督に「穢れた五輪」とかいうドキュメンタリーを撮って欲しいものです。なんか五輪キャラクターがかわいそうで涙が出てきます。
ところで今年の「流行語大賞」は「性加害」でまちがいないでしょう。
「婦女暴行」「強制わいせつ」の犯罪者でも、偉い人なら組織は必至で隠蔽して「一身上の都合でお辞めになられ奉り候はずらん体にあらんこといとものぐるほしけれ」「すでに退職された人なので何とも言えません」。そこいら辺のザリガニを「オマール海老の煮つけ」と言われて食わされても一流ホテルなら「誤表示」で終わり。民宿のオヤジが女性宿泊客に睡眠薬を飲ませて犯罪に及んだら逮捕なのに、総理大臣の「ちょうちん記者」なら同じようなことをやっても無罪放免になってしまうかのような、まったく不公平、不平等な社会になってしまっているのでしょうか。  年金は減り、物価は上がり、円は激安通貨に。
ベルギーの哲学者で「構造主義」を提唱したレヴィ・ストロースはこのように言っています。
「チェスなどのゲームは、競技者が平等であるという前提で公正なルールで進められ、結果は勝者と敗者、といった不公平を生み出す。一方、国葬や戴冠式、スポーツの祭典といった儀礼は、圧倒的不公平が目に余る社会であっても、「すべての人々が平等である」との現実離れした幻想を植え付ける魔法のように作用する。」
 ただしその「祭典」を利用して権力者が私腹を肥やしていることが公になった場合はその限りではない、と言ったかどうかは知りませんが、やはり圧倒的不公平に満ち溢れたこの社会で、儀礼を行うということは、いつも効果があるとは限りませんが、いわゆる大衆の不満の「ガス抜き」には最適な行事、と権力者が考えることはあるのでしょう。近衛兵に誅滅され、「記憶抹消の刑」に処せられたローマ皇帝が、闘技場や馬車のレースを大衆に無料で観せた恵与政策と同じ発想といえます。
それと以前からその経緯を解明したいと思っているのですが、総理大臣経験者が亡くなると大宝律令に倣い「贈従一位」の官位が下賜されたまい奉りあそばすのですが、田中角栄氏と宮澤喜一さんが例外で「なにもなし」となっているようです。何故なのでしょう?多くの国民は「えー?なんでぇ?日本を豊かにしたカクエイさんと、思いっきり知的だった宮沢さん、何で無官位!?なんかとんでもないタブーな理由があって、それを知ろうとするととんでもないことになるのかなぁ?」
官位とは、「臣民の貴賤を順位で表わす制度」です。お国にとって、官位のない元総理や一般国民は全員、賤しいんですかねぇ?