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勇患列伝

鏑木(かぶらぎ)隆久さん(仮名) 40歳 男性 冠状動脈バイパス手術

新潟から来た患者さんの大動脈弁手術を無事終えた私は部屋に戻って一息ついていた。
「そういえば鏑木さんが今日退院したはずだ。」
鏑木さんは獣医師だ。奥さんも獣医師で川崎で二人で動物病院をやっている。
「退院したら次の日から働き出すに違いない。」
鏑木さんはの仕事は自営だ。それにそんな性格の人だった。
彼の心臓は動いていない。低左心室機能の状態だ。左心室の収縮機能は医者の間では左心室駆出率(%)という数値で表現するのだが、彼の場合、22%しかない。正常値は55%以上。普通の健康な人なら60%は軽く超える。
そういう状態の心臓に私は心臓を拍動させたまま、バイパス手術を行った。つないだ血管は5箇所だ。鏑木さんの左心室駆出率は術後少しは上昇した。だがまだ著しく低値だ。
一家を支える彼は間違いなく退院翌日からフルに働きだすだろう。
私に会わずに帰宅した鏑木さんに明日からのことをどうするのか聞いてみたくなり、電話した。
「明日から働くんでしょうね」と私が訪ねると、
「まあ、ゆっくりと慣らして行きます」ということだ。
予想通りの返事だった。「彼は働いてくれるに違いない」
彼が獣医師で、私の大好きなネコたちを明日からどんどん救ってくれるであろうことを喜んだのではない。手術のあと患者さんがバリバリ働いてくれるなんて、執刀医として冥利に尽きるものだ。その点、私はうれしかった。
次の言葉に私はもっと狂喜した。
「それに帰りは電車で帰ったんですが、大丈夫でした」
彼は病院からバスで駅まで行き、小田急線とJRを乗りついて帰宅したという。
鏑木氏は私の心臓手術の効果を信頼している。そこがうれしかった。
それに今まで心臓手術を受け、退院に際して自家用車やタクシーを使わないで帰宅した患者はいない。私自身も小学校一年生のとき、ヘルニアの手術を受けたが、退院のときはタクシーで帰宅した。帰りにディズニーの「あしか物語」を父母と観た記憶がある。
鏑木氏は退院前のリハビリプログラムは一生懸命にこなしていた。術後の患者にはけっこうきつい運動を強いるのだが、効果は抜群だ。その理学療法士チームも私には自慢のタネだ。だが彼をして、リュックを背負って駅の階段を平気で上り下りして、電車に揺られて帰宅させたのは、彼自身の、自分の身体や健康に対する強い信念だろう。
彼は入院してからも、手術の前日も、手術の後も、一貫して決して動じることなく、淡々と、粛々と、平然としていた。
「ひょっとしたら執刀する私のほうがビビッているんじゃないのか」
そう思わせるぐらいだった。
彼の態度は、自分でできることは自分でやる、人に頼らない、ゆっくり確実に前進する、めげない、悲観的に考えない、そんな強い信念、strong mindだ。私と比べてどうだろうか? 私など信念そのものが実際に存在しているのだろうか? 信念の中身がどうかという以前の問題ではないか、と自問自答してしまう。
私はこの鏑木氏から人間の生きyukan方というものをもっともっと学びたいと思う。
皆さんはなぜ私が彼、鏑木隆久氏にここまで心酔しているのか、不思議に思うかもしれない。その理由を説明しよう。
それは彼の病歴による。
彼は13歳で再生不良性貧血という重病になった。闘病の末、骨髄移植で健康を取り戻したが、その時に服用した抗がん剤が原因ですい臓のインシュリン分泌機能が消失し、腎臓の機能も廃絶した。彼は長年、人工透析を受け、毎日インシュリン注射を行ってきたのだ。40歳になり、人工血液透析の患者で必ず起こるカルシウムの代謝異常で血管にカルシウムが沈着し、冠状動脈がボロボロにやられてしまった。そして川崎の病院から私の元に手術の依頼が来た。
彼は始めて私の外来診察を訪れたとき、やはりリュックを背負って電車を乗り継ぎ一人で来院した。
誰にも頼らず、決してひるむことなく、立ち止まることなく、そして明るく、自分の足で一歩一歩前進して来た彼ならば、そんなことは当たり前のことだろう。
強い!あまりに強い!私は鏑木隆久さんに強さを見た。
だが彼自身は既に知っている。彼はとっくに自分の強さを見抜いている。これまでの様々な窮地なかで、戸惑い、打ちひしがれ、絶望し、見えてきたもの。それは自分の本性だったのではないか。そして彼は知っている。自分の心の中にこそ、至上で最強のエネルギーが蓄えられていることを。

平成21年6月24日 南淵明宏

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