トップ勇患列伝 > 勇患列伝 その2 見性成仏編
勇患列伝

千住文子さん 僧帽弁形成術、三尖弁形成術、MAZE手術

ある水曜日の午後。千住さんは娘の真理子さんと私の外来を訪れた。
千住、と言う名は珍しい名前であるが、私は診察室では当初、全く気がつかなかった。
診察が終わって「もう少し詳しい検査をしてみましょう」と結びの言葉を発した私に、それまで脇で黙って座っていた真理子さんが突然話しかけた。
「私は名刺がありませんのでこれを」
彼女の手にあったのは彼女のバイオリン演奏を納めたCDだった。
私は大変驚いた。あの千住真理子が目の前にいる!人生とは何の前振りもなく突然場面が展開する下手な演出の喜劇なのだろうか!
私が大学生のころ、「火の鳥2772」という映画が封切られた。手塚治虫らしい、音楽を豪勢に使ったアニメ映画だ。映画のヒロインである育児ロボットのオルガのテーマ曲(ライト・モチーフ)が当時16歳だった千住真理子さんのバイオリンのソロだったのだ。オルガが嫉妬する場面では最高に叙情的なカデンツァが登場する。サウンドトラックのLP版レコードを早速買い込んだ。ジャケットのウラに高校生の千住真理子さんのあどけない顔が写っていた。
あれから27年たっていた。サントラ盤レコードのジャケットで見かけたバイオリニストが目の前にいる。「私の人生は、私をおちょくっているのだろうか?」
かねてよりテレビなどで一方的に「よく知っていた」人物が目の前で「ナブチ先生」などとごく普通に私と会話している、と言う事態に最近よく遭遇する。その度にそんな思いがする。
千住さんの手術に至るまでの思い、手術で彼女が体験したこと、これについては新潮社の「千住家の命の物語」をぜひご参照いただきたい。
手術が終わって二年3ヶ月たったとき、彼女には無理なお願いと知りつつ、一般のかた向けに講演を依頼した。7月4日土曜日の午後、450人の聴衆が相模原のホテルの会場に集まった。
その中で、私が印象に残った部分を紹介する。
まず彼女は「患者さんと言うものは自分が周囲から取り残されて行くのではないかという点で、まず不安に陥る」のだという。
病気の不安や治療の不安よりもまず、「もうこんな年よりは放っておこう」とみなが考えるのではないか、医者も含めて、だそうだ。これは医療側にとってもまことに貴重なご指摘だ。
次に彼女は「悩むことが必要」と強調する。
千住文子さんはご主人をやはり同じ心臓病で亡くしたと聞く。その際、病状がいかなる状態であっても、あきらめず、そして家族が悩んで悩んで悩みぬいて、悔いの残らない選択をする、と学んだということだ。「心臓の弁が悪い」と聞かされて三人のお子さん達は信頼にたる医師を捜し求めたと言う。そこで私にめぐり合ったと言うことで、なんとも光栄至極ではある。だが、ある意味それだけ厳しい目を私に向けていたとも言え、手術では大過なく経過し、本当によかったと今更ながらに胸をなでおろす。もちろん千住さんでなくとも、すべての患者さんで、当院をお選びいただいたご家族は深い思いと激しい情熱をもって私の目の前に現れて下さっているのだろう。
千住さんの聴衆に向かっての「悩みなさい!」という言葉で、おっしゃりたいのはこういうことだろう。
悩むということは「思考停止しないこと」だ。
物事を決めるとき、人は思考停止することがある。いやむしろ思考停止したがることすらある。自家用車を決めるとき「このメーカーだから大丈夫」、家を建てるとき「大手の建設会社だから大丈夫」、お歳暮を送るときも「老舗のデパートに行って適当に見繕って来よう」、そして病院を決めるときも「官公立の病院だからきっと大丈夫だ」。これはみな、思考停止の産物、つまり「自分で調べて情報を集めて吟味して、考えた挙句決断する」、という行為から逃げ回る行動だ。
禅の謂う、
不立文字(本など読んで得られた知識などたいしたことはない)
教外別伝(自分の理解とは体験で得られるものだ)
直指人心(自らの五感で感じ取った情報こそ信頼にたる)
見性成仏(悩み、考えて、結局自分の心の中にこそ真実が見出される)

何事も自分で見て思い切り悩んで、そして自分の心の中に解答を見つける。
あの世でもない、誰かに頼るのでもない、自分の心の中にこそ仏性を見出しなさいと説いた道元に通じるところがある。

実は親鸞も
尊貴自体にして己道(おのれにみち)ありと謂えり。
という言葉を残している。
さて、病を経験し、不安、恐怖、不信、こういった感情が心の中に現れるのは誰しもいたし方がない。患者はみなそういった現実にどう折り合いをつけたか、という体験を持っている。言い換えれば不都合な現実と「それでは困る」という自分が合意した状態であるのだ。考えてみれば人間が生きていくと言うことは合意の連続だ。自分の意見があり、要求があり、それに真っ向から立ち向かう現実がある。他人もいる。偶然もある。そして病気もある。不都合な現実を見つめ、理解し、和解する。それには力が必要だ。その力は自分の中にしかない。だが悩みぬくことによって、自分の中から湧き出てくるものだ、とも言える。
千住文子さんの講演
講演では千住さんのお話に心を打たれ、目頭を押さえている人もいた。つくずく思った。私は医者でしかない。患者の気持ちと言うものは患者同士が一番分かり合えるのだ。医者など「わかってあげているつもり」の偽善者に過ぎない。医者をやって本当にわかった。患者は実に強い存在だ。


平成21年7月6日 南淵明宏

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