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勇患列伝

山之内紀夫さん(仮名) 62歳 男性 拡張型心筋症、僧帽弁形成術

「会社つぶしちゃってねぇ、手術をやるっきゃないんですよ」
どこまでも明るい、どこまでも前向きな山内氏は診察室でそう言った。
会社が潰れるのと手術とは何の関係も無いように思えるが、彼の中では一連の出来事なのだろう。人間は身に降りかかる障害に一つのアタマで対応する。同時期に起こった二つの大きなつまずきが バランスをとりながら、あるいは相乗効果を持ちながら、彼の脳髄を均等に埋め尽くしていた。
理由はわからないが、彼の心臓は動いていない。筋肉のパワーがまるで無い。おびただしく拡大している。そのせいで、僧帽弁のたがが緩んで、激しく逆流し、左心室から全身に送り出される動脈血のパワーをさらに減弱させている。悪循環だ。だが心臓の筋肉を養う冠状動脈は正常だ。数年前から心房細動だという。最近とみに脈が著しく乱れているという。こういう原因不明の心臓の筋肉の疲弊、機能低下を医者は「拡張型心筋症」という戒名をつけて祭り上げ、加持祈祷を繰り返すしかなす術をもたない。
とにかく二ヶ月前から体がきつくなった。経営していた会社が潰れてからだ。会社が潰れたのと心臓が悪くなったのは同時期のようだ。どちらがつらいだろう。どちらもつらいのだろう。
「もう生きられません」
大学病院でそう宣告された。
一般的に、悲観的な診断についてだけは、大学病院は信頼にたる。
「でも手術でも受ければよくなるかも・・・」
とも言われたそうだ。
僧帽弁の逆流を止め、脈を正常に規則正しく戻せば改善はするだろう。
「今陥っている苦境を抜け出すためにまずできることをやろう」
前向きな彼はこう考えたのだろう。
そして心臓手術というイベントを自分に果たすことを決意したのだ。
人間の心理はよく「取り引き」ということ本人にだまってやる。
問題に対処するとき、何かつらいことを受け入れる代わりにごりやく利益を期待するのだ。
「良薬口に苦し」の思考である。
彼の場合、つらい心臓の手術を乗り越えれば、必ずそれに見合う「報酬」があるはずだ、という考えもあるのかも知れない。
執刀医としてそれは困る。心臓の筋肉が弱りきっている彼の心臓に手術を行うということは、成功するかしないか、わからない危険な賭けだからだ。
「それをキズつけることなく、相手の心に直接触れることはできない」
スタンダールの「赤と黒」にある、先行代名詞で始まる名言だ。心臓手術も同様で、
「それをキズつけることなく、患者の心臓に直接触れることはできない」
全身麻酔を施し人工心肺を使い心臓も一時間以上停止させる。そういった心臓外科手術では避けられない、傷害行為に、ギリギリの状態の彼の心臓は耐えられない可能性が高い。
だからといって賭けに負けてすべてを失う可能性は想定できない。
一歩踏み出すか立ち止まるか、理屈をこねれば難しい決断だ。
「できぬ決断、するが決断」
そもそも人間が物事を決めるときは総じて論理的でなどないのかも知れない。
山之内氏そのことをよく知っているのだろう。
手術は大過なく終わった。手術後の人工呼吸の時間は長めに取り、IABPという補助循環装置も使ったが、なんとか思惑通り彼は順調に回復した。
僧帽弁の形成術で逆流は消失し、脈も正常に規則正しくなったことがもちろん勝因ではある。ただしこれは医者ごときの屁理屈、たわごと戯言であり、手術を乗り切ることができた原因は、やはり彼自身のうちに秘めたるパワーに他ならない。

「もうこうなったら手術をやるしかないんですよねぇ」
こちらの心配をよそに、手術の前日家族の前で私に向かってこう言い放った彼のすがすがしい顔は、いつまでも私の脳裏に神々しく焼きついている。
人間は本当に強い。

平成21年7月11日 南淵明宏

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