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勇患列伝

富永吉三郎さん(仮名) 70歳 男性 冠状動脈バイパス手術、慢性透析中、胸郭形成後

「ナブチ先生、何とかしたってぇ。知り合いの娘のお父さんなんよ。その娘めっちゃ美人やでぇ」
私と同郷のある女優さんの紹介だったこともあり、私は診察を二つ返事で安請け合いした。
美人のお父さんの富永吉三郎さんの冠状動脈は、入り口ですっかり狭くなっている、左冠動脈主幹部病変、という状態だった。診察室に来た患者、富永氏の胸にはポッコリ穴が開いていた。
富永吉三郎さん(仮名)の画像1
肺結核の手術を5年前にやったという。今では結核は完全に治っているそうだ。
とはいうものの、左の上半分の肺は取り去られ、その部分が空洞だ。だがその空洞は外に繋がっている。左の胸の正面に入り口が開いた、洞窟になっているのだ。
肺を取り去り、その部分を埋めるスペースが無くなったことによる処置だろう。 そのむかし、東京オリンピックのころ、鉄腕アトムの実写版をテレビでやっていた。そのアトムの胸の中央にはエネルギー電池をしまいこむ穴が開いていたのが印象に残っている。私はそれを思い出した。
これでふだんの生活にはなんら支障なく、元気に生活されておられるのだからたいしたものだ。
富永さんは腎臓も悪く、血液透析も毎週3回やっているという。
そんな70代の男性患者に千葉からおいでいただいた。
千葉の病院で手術はできないという。
至極当然だ。常識的な判断に他ならない。通常の心臓手術の方法では心臓を大きく露出するために、前胸部を大きく切開する。富永さんでそれをやると、もうキズは永久に治らないだろう。体躯は心臓が露出した状態の、ガブリオーレ状態になってしまうのだ。
だから先方の病院では富永さんの主幹部病変にまずカテーテル治療が試みられた。
透析患者の冠状動脈はひどく石灰化している。
すぐダメになるだろうという内科医の説明どおり、一旦拡がった左冠状動脈主幹部は3ヶ月でまた狭くなった。今回は以前にもましてギリギリの状態にまで狭くなっているようだ。

「これは大変な状態ですね」
私は漠然とそう言った。
自分が漠然と重症であることは、富永氏は言われなくてもよくわかっていただろう。何しろ左の胸がポッカリと空洞なのだから。
「でもたぶん手術はうまく行くと思いますよ。どうやるか決めていませんが」
予想以上の美人だった娘さんの前で私は虚勢を張った。
富永氏は私の無責任な見解をだまってニコニコして聞いていた。娘さんもニコニコしてくれた。
こんなときはニコニコが一番心強い。

手術が始まった。当日の手術にはたまたま読売新聞の記者と若い医者が見学に来ていた。
このときの手術のシーンは平成21年7月5日の読売新聞朝刊に冠状動脈バイパス手術のイメージ映像としてカラー写真で掲載されている。
胸のポッカリをよける形で皮膚切開した。
この切開の仕方を私は寝床で何度も自分の胸でシュミレーションした。寝入るとき、目が覚めたとき、富永さんの心臓をどうやって露出するかという難問がふと私の頭を占拠することが何度もあったからだ。横たわった自分の体を私は何度も指でなぞった。肋骨や胸骨をどう処理するか、そしてどうすれば、心臓が拍動している状態で直径二ミリの細い血管をしっかり縫い付けるための視野が確保できるのか。頭の中で思索が自然と沸いてきた。普通に仕事をしている人ならば、ごく普通の日常の出来事だろう。苦悩するでもなし、ふと頭の中が仕事のことで占拠されてしまう。額に汗して労働する人間ならばすべからくそうであるように、私もこんな生活を15年以上続けている。
バイパス血管となって、新しい血流を心臓に送り込む道筋をまず確保しようとした。ところが見当たらない。いつものところにいつもの血管が見つからない。
「そんなはずはない」
こんなことは幾度も経験した。あるべきところにあるはずのものが無い、突然の大出血、予想を裏切られる大惨事、今までいろいろ経験してきた。まあじっくり行こう。そのうち道が開ける。そう言い聞かせ、冷静になった。すると次の瞬間、目の前に血管が現れた。あるべきところにあるべき様に、当たり前に顔を出したのだ。
自分をさえぎる障壁のほとんどは、自分が心の中に作り出したものに過ぎない。
血管を見えなくしていたのは自分自身の心の迷いだった。
その後手術は思い通りに進んだ。変則的な手術であったが、どんぴしゃで決まった。
富永氏は元気に退院していった。
いつもニコニコしていたが、口が数の少ない好人物だった。
今から思うと手術の条件が非常に悪いことは本人が一番わかっていたはずだ。
だから
「言うだけ野暮」
とそんなことには触れないよう、私も二人のお嬢さんもつとめて冗談ばかり言っていた。
私が行ったへんてこりんな手術は結果もよかった。冠状動脈をCTで描き出す画像で、新しくつないだバイパス血管が非常によく流れていることが示されたからだ(図)。
富永吉三郎さん(仮名)の画像2
バイパスは左胸のポッカリを迂回するように流れている。
してやったりだ。
千葉から来てもらった甲斐があったし、私の面目も立った。
でも、もしうまく行かなかったら、手術中に心臓が止まっていたり、何も起こらなかったとしても結局手術では心臓には何もいいことができなかったり、あるいは手術の後にキズ口が治らなくてばい菌が入って敗血症で死んでしまったりしていたら、私の立場はどうなっただろう。
娘さんたちは私の理解を超えた世界を美しいその瞳に覗かせながら、押しだまって私を見つめたことだろう。
今医療は迷走している。
「情報開示」の名の下に、重症患者は医療行為の事前説明の中で、何度も殺される。今なにも治療をしないと死んでしまうこと。何か治療を行えばやっぱり死んでしまうだろうこと。治療がうまく行ったつもりで経過していても突然期待を裏切られ死んでしまうこと。さらに退院した後でもいつ死んでもおかしくないこと、などなど患者は何度も死ぬことを説明される。肺炎で死ぬ。腸が腐って死ぬ。脳梗塞で死ぬ。不整脈で死ぬ。治療を受けようとする患者は、事前の説明で20回は殺される。「北斗の拳」のケンシロウに「お前はもう死んでいる」と言われているかのようだ。
治療が期待通り行かなかったとき、すぐさま医者のせいにされ、裁判所に引きずり出される可能性を誰もが心配するご時勢だからいたしかたない。
また、「安全管理」の名の下に、患者が死にそうな手術はやらないという病院が増えていると聞く。
「こりゃあ大変な状況です。手術は危険ですよ!」と何も治療をしないで患者が勝手に死んだら病院の責任は免れる。重病になったのは患者の責任であって病院の責任ではない。だが治療の最中に患者が死んだら病院が責任を問われるかも知れない。
「碁を打たなければ、負けることなどない」という格言にも通じる。
重症患者には極力何もしないこと。これも方便である。
そういった安全管理と情報開示がしっかり行き届いた病院が、いまどきの「まともな病院」らしい。
その点、ケンシロウになるのがいやで、富永さんにはたいして何も説明しなかった私など、「まとも」とは程遠い。
ただ、私は自分のことを「普通」だと思っている。

次の設問に答えよ。
設問:本文中太字下線部、娘さんたちは私の理解を超えた世界を美しいその瞳に覗かせながら とはどういう意味か?最も当てはまるものを選べ。
(  ) それまで患者の治療に共闘していた執刀医と娘さんたちの両者が突然、敵対する関係に陥った事態を迎えたという意味。
(  ) 執刀医が、自分ではなりたくなかった拳シロウになってしまったと言う意味。
(  ) 娘さんたちの執刀医を裁判所に引き出してやろう、とする強い決意が見られたという意味。
(  ) 手術を希望した娘さんたちが自らを責める気持ちでいっぱいになっている、と言う意味。
(  ) 娘さんたちの瞳はただ美しく底知れない、と言いたかった。

平成21年7月23日 南淵明宏

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