トップ勇患列伝 > 勇患列伝 その7 廓然無聖(かくねんむしょう)編
勇患列伝

若田部さん(仮名) 20歳代 男性 僧帽弁形成術

若田部君(仮名)は20代の若者だ。僧帽弁が激しく逆流している。こういう場合、人工弁に交換する選択肢もあるが、若田部君のように若い患者の場合、もとからある弁を切るなり縫い縮めるなりヒモで固定するなりして逆流を止める僧帽弁形成手術が極力試みられる。
手術の数日前、私は彼と家族に手術の方針を説明した。
「あしたの手術では三尖弁も治します。リングを使いますが・・・」
すると若田部君は即座に尋ねた。
「今日の遠藤(仮名)さんと同じ方法ですね」
遠藤さんとはその日、若田部君が受けるはずの手術と同じ、僧帽弁形成術を受けた患者だ。幸いなことに手術は成功した。ところで患者である彼がどうして今日の僧帽弁形成術の患者の手術の内容を知っているのだろう。
聞けば遠藤さんとは入院前に知り合って、一緒に食事までした仲だという。実は彼らは昨年、やはり私の僧帽弁形成術を受けた平松さん(仮名)が開設した手術体験記をつずったホームページを通じて知り合ったのだと言う。何と言う患者たちだ。手術が終わって患者達が集まってくれる状況はありがたい。皆一様に「手術がうまく行った患者」だからだ。だが手術の前の患者と言うのは、手術をやってみてからしかその成否はわからない。その点、勝手が全然違う。そういう状況で情報交換されたのでは手術をする側には大変なプレッシャーだ。 手術を終えた平松さんが、今から同じ手術を受ける遠藤さんと若田部君の情報交換に協力しているのだ。
「大変な時代になったものだ」
私は痛感した。治療を受ける前の患者同士がこちらを狙いすましているのだ。となると、こちらには狙われても動じない気概が必要だ。

僧帽弁は前尖と後尖の二枚の弁尖で出来ている。
僧帽弁の逆流ではほとんどの場合、後尖がおかしくなって逆流する。先に手術を受けた平松さんも遠藤さんも、同じく後尖の逆流だ。この後尖の手術はほぼ定型的な方法が確立していて、経験豊富な心臓外科医なら大概の場合形成はうまく行く。
だが若田部君の場合、前尖と言う部分が大きくめくれ上がって閉まらなくなっている。
こういった前尖の逸脱による逆流は形成手術には適さない、と言われている。その理由は、切ったり貼ったりで逆流が止められない可能性が高いからだ。だが全国には「自分は前尖の逆流もしっかり治せる」と豪語する、自称、僧帽弁形成術の大家が数人いる。だが多くの患者を経験しているわけでは決して無さそうだ。だから私にはそんなやつらの能書きは戯言にしか聞こえない。逆流を生じている僧帽弁の変形、逆流の状況はそれぞれだ。仮に100例うまく行ったとしても、「今のところ幸運にも100例でうまく行っていますが、101例目はわかりません」と言うのが普通だろう。どうしてそれが「私には治せます」となるのか。
若田部君の手術の前日、熊本で心臓外科医の集まる学術集会があった。そこで気の知れた友人に相談してみた。
「人工弁でええんちゃう?」
「人工腱索やで!」
「弁を扇状に切ってそこを縫い合わせるんだよ!」
様々な意見が聞かれた。
「出たこと勝負だな」
そんなふうに思った。

僧帽弁の逆流の原因は僧帽弁の変形だが、さらにその原因は何なのか?
これによっても形成手術の成否は多少の影響を受ける。
だがそれについては患者によって皆違う。一様では決してない。だが大きく分けて、材質的に弱いことが原因で僧帽弁を繋ぎとめているヒモが切れたものと、細菌の感染で構造が破壊されたものの二通りあるとされている。だがどちらだか、全くわからないことも多い。最初の歪みが小さくて、それから何年もたって歪みがだんだん大きくなり、逆流も増えてきた、という状況で初めて手術が検討されるからだ。手術の際に心臓を切り開いて変形した僧帽弁を直視しても、数年前に起こったであろう異変がなんであったのか、見当はつきにくい。 若田部君の場合もそうだった。「手術が必要」と診断した病院の内科医は「細菌によるものだろう」と見解を述べていた。
肉体労働に明け暮れている外科医と違い、頭を使って仕事をしている内科医は信頼できる。
「内科医が言うのだからそうかも知れない」
細菌感染が原因ならば病変は限局している。早い話がそこだけ切り取って縫い合わせればいいのだ。
これは夢想に過ぎなかった。
手術では若田部君の僧帽弁前尖は全体が肥大して拡大し、はみ出していた。細菌の感染など起こった形跡はない。全体がボヨーンと変形している。そして前尖を繋ぎとめているヒモが伸びきっていた。
「とりあえずヒモで引っ張ろう」
即座にそう判断してあらたにヒモを乗馬の手綱(たずな)のように前尖に8本つけたすと、逆流はあっさり止まってくれた。人工腱索という手法だ。
一番最初に思いついた方法でダメらならすぐに人工弁で弁置換するつもりだった。だが最初に思いついた方法でダメであるはずなどない、と自信を持ってはいた。
若田部さん(仮名)の画像1
遠藤さんが退院して数日後、若田部君も元気に退院して行った。
私は冠状動脈バイパス手術ならばそこそこ経験はあるつもりだが、僧帽弁の形成手術の専門家でなどでは決してない。自称専門家達の大胆な意見を懐疑的に検討し、確実に信頼できる意見だけを慎重に吟味し、自分にできる僧帽弁形成術を行ってきた。そういう状況で結果的にここ数年来、多くの患者に僧帽弁形成術を行う機会をいただいた。気が付いてみると、心臓外科医の集まりで大声で成績を自慢している大学病院の医者などより遥かに多くの経験を積ませていただいた。これからも凡庸で臆病な心臓外科医として、確実にできることだけをこの僧帽弁形成術の分野ではやっていこうと思っている。

平成21年7月24日 南淵明宏

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