トップ勇患列伝 > 勇患列伝 その10 明鏡無心編
勇患列伝

今田寿夫さん 81歳 男性 弓部大動脈瘤後、大動脈弁置換術

分厚い壁の大動脈を切り開いた。
ところが目指す大動脈弁はずっと奥底だ。
「こりゃダメだ」
今田さんは死ぬと思った。ここまで来るのに既に散々体を痛めつけている。そして人工心肺を開始し、心臓も停止させている。もう引き返せない。だが何もできそうに無い。
二回目の手術だった。
一回目の手術は7年前。異常に拡大していた弓部大動脈部を人工血管に交換した。
東京に戻った今田さんはその後順調に経過した。だが徐々に、体を動かすと息切れがするようになった。心臓の出口にある大動脈弁が硬くなって開かなくなって来たからだ。そして通っていた東京の国立の医療センターから「今度は大動脈弁の手術を受けるべきだ」と宣告された。
「それならまたナブチ先生のところで」
と私の診察室を再び訪れた。ありがたかった。だが大変な重荷でもあった。
今田さんの心臓は手術が必要だ。本人も大きな期待を寄せている。
「二回目の手術は心臓も血管も肺もいろいろな臓器が全部一緒くたにくっついていてなかなか大変なんですよ。心臓に穴を開けてしまい大出血になるかも・・・」
と説明する私の話をニコニコ聞いている。
かつての弓部大動脈瘤で反回神経が麻痺してしまった彼の声はしわがれている。
その声で私に笑顔で話しかける。
彼の笑顔ほど、死地に赴く執刀医を安心させるものはなかった。
「風瀟々として易水寒し」
などといった暗い心境では決して無く、私の心を無心にしてくれた。
心配するでもなく、気負うでもなく、平常心で臨んだこの日の手術だった。
そういう心境で、大動脈を切り開いた。
冒頭で紹介したように、大ピンチの真っ只中にいる自分が明らかになった。
今田氏はそんな状況の私の脳裏に、あの無心の笑顔で微笑みかけた。
「こんなことになりました。どうしましょう・・・」
私はそう返答した。
今生の今田氏は今日で消滅する。
そんな状況であるにもかかわらず、不思議と彼に申し訳ないなどとは思わなかった。
「ここまで一生懸命やったのだから、それでダメなんだからしょうがいない。今田氏も納得してくれるに違いない」
そう、心の中で言い訳したわけでも決して無い。
手術でそのまま死んでしまっても、大成功に終わっても、彼は成り行きを淡々と無心で、そして笑顔で受け入れる、今田氏はそんな人だ。疑いの余地は無かった。
何が起こっても、どちらにころんでも、どんな状況でも彼は笑顔だ。
理解の深さ、人間の大きさ、確固たる死生観、執刀医である私に対する信頼感、そんなものすべてを超越した、一切の執着を断ち切った今田氏だ。
禅の教えでは仏は我々の心の中に必ず鎮座していると言う。本具仏性である。
それを聞いて、思うことがある。
仏教に言う、永遠不滅の絶対の真理である仏。その仏が宿る場所というものは、具体的には人間のどの部分なのか、と聞かれたら、それは心臓なのではないか、と。
なぜならそんな患者の仏性そのものに導かれている、と感じることが手術の最中にはたびたびある。
今田氏の時もそうだった。
切開した大動脈の底に沈んでいた大動脈弁を切り取るべく、私はハサミをかざした。するとなんとか届いた。そしていびつにゆがんだ大動脈弁や、その周囲の石灰の塊も何とか取り除くことができた。だがいよいよ元に戻れない。弁を取り除き、左心室の出口に何の障害物もなくなった心臓では、人間は生きていけないからだ。
「こんなに深いと糸はかけられないだろう・・・」
そう思って持針器の先を奥深く沈めた。
するとなんとか糸はかかるではないか。
「しかし指は届かないだろう。糸は結べない。」
だが指も届いた。
私を補佐する手術助手の中川医師からは何も見えなかったという。
心臓外科医を目指す中川医師にとって、数多くの手術助手の経験を積み重ねることがプロになるための一番の勉強だ。だがこの今田氏の手術のことは忘れてもらいたい。最悪の実例だからだ。
そもそもプロの心臓外科医は手術で妥協してはならない。どこに妥協してはならないか?それは手術の準備である。孫子いわく「戦いの勝敗は、戦いが始まる前に決している」。
実際に「始める」前に、どれだけ準備がなされているかが「結果」に結びつくのである。今田氏の手術はその点最悪だった。肝心要(かんじんかなめ)の大動脈弁の取替えを最悪の条件で迎えたことになる。
今田氏の手術では大動脈弁が術野の奥底に沈んでいるという悪条件以外に、他にも様々な環境の不備があった。専門的な言い方であるが、まず人工血管周囲全周を剥がせなかったので、大動脈遮断鉗子が不完全にかかっていて完全に血流を阻止できていない。右肺静脈も癒着に埋もれて同定できていないので、左心室の血流を除去するベントチューブを使えなかった。心筋保護液を冠状静脈側から注入する、逆行性冠還流カニューラもうまく挿入できないでいた。これら悪条件を放置したまま、手術を進行させていた。これら諸条件は、決して若い医師にはお見せできない、妥協の産物だった。
だが人工血管の周りをうまい具合に剥離したり、右肺静脈を剥離していると、大動脈弁を取り替えるのは次の日になっていただろう。逆行性冠還流カニューラをブラインドで挿入しようと右心房をがちゃがちゃ突っついていると、心臓の背面に穴を開けただろう。
だが今田氏が亡くなり、誰かがこの手術を検証したら、以上の妥協の産物は過失としてしっかりと指摘されていただろう。自分もそう思うからだ。正真正銘、下手な手術であった。
最悪の結果を前に反省しない外科医はいない。また難手術では、手術をやっている最中から反省の念が泉のように沸きあがり、頭の中に充満する。
「この患者に手術などやらなければよかった」
手術がまだ終わっていないのに、「後悔」の段階まで進んでしまう。

人工弁をしっかりと縛り付けた後、切り開いた大動脈の壁を閉鎖した。
大動脈遮断鉗子を取り外し、冠状動脈への血流を再開すると心臓は動き出した。元気である。
翌日、今田氏は歩いた。
とんでもない悪条件でも何事も無く手術は終了した。
私は今田氏の何かに導かれた。私だけではない、当日の手術室のすべてが何かに導かれた。
人工心肺技士、麻酔医、看護師、助手。人だけではない。手術器具や心筋保護液。あるがまま、なすがままの手術の流れに導かれた。その流れはどこから来たのか?何がそうさせたのか?
それは「今田氏の仏性がそうさせた」と理解すれば納得が行く。
正直言って、そうならない手術もある。そういった流れが患者を救えない方向に向かうこともある。手術室ではなんら問題が無かったのに、手術の後に脳梗塞が起こっていたり、腸が壊死していたりと、とんでもない事態が発覚することもある。
人間の運命を決する心臓外科の手術室には、何か大きな力がいつも働いて、流れを決めている。外科医は苦心惨憺、手術に打ち込んでいるようで、実はその流れに流されているだけなのかもしれない。

■設問
この手術を通して、助手を務めた中川医師に執刀医は何を学んで欲しかったか。指導する立場の指導医になったつもりで、以下の文章の中から、最も適切と考える文章を選べ。
(  ) 手術室では患者の体の中に持ち備えている仏性が助けてくれることもあるので、その力におすがりできるよう、執刀医はつとめて無心で手術に臨むべきだ。
(  ) 患者だけではなく、全てのスタッフに、また手術室だけでなく、全ての人々に仏性は備わっているので、その中でただなすがまま、あるがままに行動することが人間にとって一番大切なことだ。
(  ) 手術ではいかなる状況でも決して妥協しないで、目的としたことが実現できるまでしっかりと粘って進めなければ、もし患者さんが亡くなったときには後で同業者に手術映像のビデオを検証され、アラを探されて過失を指摘されてしまうという憂き目に会う。
(  ) 今田氏のような優れた人間性を持ち、医者の側からも心底信頼のできる患者にだけ手術をするという、そういったある水準を満たす患者をしっかり選別する技能が備わっていなければ、今後外科医として生き残れない。

平成21年8月3日 南淵明宏

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