トップ勇患列伝 > 勇患列伝 その11 只管打座編
勇患列伝

脇田雄二さん(仮名) 34歳 男性 大動脈弁置換術(機械弁)

私は落ち着きの無い、おまけに勉強もできない、親の言うことなど決して聞かないアホガキであったことには間違いない。
奈良の田舎に住んでいた小さいころ、大阪は遠かった。
電車で30分もかかったからだ。電車に乗っている30分が死ぬほど退屈で、大阪の上本町六丁目は当方も無く長く感じられた。
その後大阪に移り住んだ。地下鉄御堂筋線の昭和町あたりに住んでいたが、新大阪などは大阪の果てのように感じられた。地下鉄で20分以上もかかったからだ。40年経って同じ路線で移動すると、決して遠くは無い。電車の所要時間は少しも代わっていない。にもかかわらず、気が付いたら到着している。大人にとって電車に乗って20分や30分など、決して遠くは無いのだ。特別に辛抱が足りなかった私のようなクソガキであっても、50歳を過ぎればそんなふうに辛抱が備わるのか?
人が感じる時間の長さはその人がどれだけ生きていたかによる、とも言われている。電車に乗っている20分を10年と比較するのか、50年と比較するのか。その比率は5倍も違う。5倍生きていれば、時間の長さは5分の一に感じることになる。だとすれば合点がいく。
私のような狭量で凡庸な人間でも、年さえとればたいくつしないで電車に乗れるのだ。だが過ぎていく時間を堪能できていないようで、さびしい気がする。

30歳前後で大動脈弁に異常をきたす人がいる。
30歳と言う年齢は、人生全体の「尺」を考えると明らかに「若い」。
大動脈弁とは左心室の出口にある弁だ。もともと材質が弱いだろうか、ゆるんできてうまく閉鎖しなくなる状態だ。生まれつきの少しの歪みが、30歳頃になって激しくなって機能不全を起こす場合もある。
人工の弁に取り替えなければならないほどダメになっている、と内科医が判断したとき、患者は「心臓外科の医者に診てもらいなさい」と宣告を受ける。
ここで重要なのは、この大動脈弁の異常というものは最初は身体にさほど影響を及ぼさない。つまり症状は全く無いことが多い。国会議員を支える有能な秘書のように、陰で心臓が一生懸命がんばるからだ。
そんな患者が私のもとにやってくる。
患者は若い。症状もない。だが心臓の出口にある弁が機能していない。いやがる患者に手術を受けるよう、説得する。そもそも心臓外科医などと言うものは、嫌がる患者に何が起こるかわからない、不確実な手術を勧める役なのだ。患者から見れば、悪人以外の何者でもない。200人に一人ぐらいだろうか。私の説明だけ聞いて後はなしのつぶてになる患者がいる。「あんな奴の顔は二度と見たくない!」と手術を否定する深層のリピドーを、私への憎しみに転化していることだろう。凡そ世の専門家である限り、一部の人から恨まれることを気にはしていられない。
脇田雄二君は34歳だった。機械製造会社の海外の工場を任されている重責を担う役職にあった。さしたる症状も無いが、健康診断で心臓の雑音を指摘され、現地の専門家の診断で大動脈弁の機能異常を指摘された。生まれつき三枚あるはずの弁尖が一部くっついて二枚になっており、その後の弁組織の変化もあり脇田君の大動脈弁は通過障害(狭窄)と逆流(閉鎖不全)の両方が起こっていた。左心室も拡大している。
「うちのエコーの結果でも、やっぱり手術した方がいいでしょうね」
彼の顔から血の気が引いた。
明らかに落胆し、狼狽しているようだった。
「こんなもの、ちょっとした異常です。手術なんて大げさな話じゃありませんよ。やっぱり外国の医者は大げさで当てにならない」
などと私が一刀両断に彼の直面している問題を打ち消してくれると期待していたのだろう。
数年前の話だが、福島県の県立病院に患者としてかかっていた女性がいて、「手術が必要です。心臓の二つの弁を変えなければなりません。」と宣告され私を訪れたのだが超音波検査では何も異常は認められず、
「こんなもの、手術なんておかしいですよ」
と説明したケースもあった。
だが脇田君の場合は大当たりだった。赴任先の現地専門家による診断は全く正しかったのだ。
脇田君は動揺したように見て取れた。突然、心の中に竜巻が巻き起こり、一切合切を吹き飛ばそうとしているのだろう。
まさに、心猿難制。「譬(たと)えば猿猴の樹を得て騰躍跳躑して禁制す可きか難きが如し」である。
だが脇田君は私の目を正面から見つめて丁寧に会話した。
「手術の後、どれぐらいで仕事に復帰できるのでしょうか?」
などしっかりと、着実に尋ねてきた。
だが一生懸命、心の中で揺れ動く不安をコントロールしようとしている脇田君は気丈であり、勇ましく凛々しいが、健気でもあった。脇田君は心猿を識馬に変えてしまったのだ。私は彼の戦いぶりに心を打たれた。
 自分ならこんな宣告を受けた瞬間、頭の中が真っ白になってしばらく何も考えられないだろう。気が付いたら家に帰っていた、などという始末になっているに違いない。
私を含めた医者と言う人種は、とことん心が弱くできている。
ある小児科の女医さんから聞いた話だ。
自分の子供の股関節に生まれながらの異常がある、との診断を医者に告げられた瞬間、頭が真っ白になってその後何を説明されたか、自分がどうやって家に帰ったか、全く覚えていなかったと言う。
人間の脳は激しい衝撃を受け瞬間、ちょうどパソコンがフリーズするように、全部の機能が停止してしまうのだろう。
脇田君には人工弁置換術を受ける患者が必ず通り抜けなければならない試練も待っていた。
それは機械弁にするか、生体弁にするか、と言う選択である。
永久にもつ機械弁と、10年から15年で壊れてくるかも知れない生体弁。適度のワーファリンを毎日服用しなければならない機械弁と、何も服用しなくていい生体弁。
人工弁には炭素の樹脂でできた機械弁と牛の心臓を覆っている丈夫な膜で作られた生体弁がある。どちらも人間の心臓弁の働きを100%代替する点で、完成された人工の臓器である。だがその機能を維持する方法については「申し分ない」とは言い切れない。
亡くなった方から臓器提供を受けて、大動脈弁だけを移植するホモグラフト移植と言う方法。大動脈弁のすぐ隣にある肺動脈弁を切り取って大動脈弁の場所に移動するロス手術、など人工弁を回避する手術があることにはある。だがこれらの方法も生体弁と同様、耐久性の問題を解決できたわけではない。つまりこういった手術でも、数年後に結局人工弁で弁置換を余儀なくされる場合が多いと聞く。特にロス手術では肺動脈弁に配置転換が命じられるわけだが、では肺動脈弁の役割を誰が果たすことになるのか、大きな問題となる。ある意味で「頭隠して尻隠さず」の間抜けな解決策だと私は思う。
反対に人工弁置換術を行った患者で、長い期間観察してもほとんどの患者で何も不都合は起こらない。そんな現実を前に、つい医者は高みの見物を決め込んでしまう。
とにかく機械弁と生体弁、どっちにするか。これは患者自身に悩んでもらうことにしている。一見開かれた医療と言えるが、なんと無責任な医者だろう。統計やエビデンス、医学的見識と言ったものが
「あんたにはこっち」
と提示できていいものだ。そのための専門家だろう。専門家がその決断の重責を背負ってしかるべきはずだ。患者に自分で決めさせてその結果の不都合は患者自身に責任をとらせようとする。インフォームドコンセントと銘打った、専門家の責任を放置したなんとも卑怯なやり口と言える。だが世の趨勢でもある。

手術は滞りなく終了し、脇田君は心臓に人工弁を装着した新しい人生を歩むこととなった。
手術に際しては脇田君は心の中にある、不安と言う猛獣をしっかりと飼い慣らした。
「手術」と言う点を見事克服した脇田君は、今度は人生と言う長い「線」の上を人工弁とともに歩いて行く。
後で脇田君のお父さんが話してくれた。
息子が心臓手術という重大な局面に立たされて、一人で悩んで解決した過程で、親として何かできなかったものかと後悔した、と。その気持ちは当然だろう。だが親にもどうしようもない、本人が対面した問題である。そして人工弁とは、その後もずっと一人で対面し続けなければならない現実だ。
確実なことは、脇田君の気持ちはさておき、脇田君の心臓に縫い付けられた人工弁は残された40年以上の人生をしっかりと動き続ける。これは間違いない。
そして、それは彼にとって長く感じられる時間であろう。

■設問
本文末尾の下線部太字、それは彼にとって長く感じられる時間であろう。とは執刀医のどういう心境を物語っているか?次のうち最も当てはまる解説を一つ選べ。

(  ) 執刀医とは、自分が手術させていただいた患者にはできるだけ長生きして、充実した人生を送って欲しいという願望を持ってしまうものだ。
(  ) 苦難を乗り切って人工弁置換術を受けた患者は一瞬一瞬を噛み締めながら、後の人生を生きていくものである。充実した時間だと想像する。
(  ) 人工弁置換術を受けた患者は残された人生で人工弁のことがいつも心配になり、苦難の時を過ごすことだろう。そしてそれは長く感じられることだろう。
(  ) 人工弁置換術を受けた患者は身体が子供のようにたくましくなるので、時間の経過が長く感じられる傾向がある。

平成21年8月19日 南淵明宏

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