トップ勇患列伝 > 勇患列伝 その15 入鄽垂手(にってんすいしゅ)編
勇患列伝

日高衛士(仮名) 60歳代 男性 ミッド・キャブ

小さな穴の奥に目指す右冠状動脈が見える。
「縫ってくれ!」といわんばかりだ。
だが遠い。果てしなく遠い。
それは鳩尾(みぞおち)に開いた穴の奥に沈み、手術道具が届きそうにない。
「オレはなんでこの小さな視野にこだわっているのだろう?」
小さな傷口で一本の冠状動脈だけにバイパス手術を行う方法、通称、ミッド・キャブ。
私はこの手法を1996年4月以来、600人以上の患者に行ってきた。
小さな穴から覗き見える心臓の景色は患者それぞれみな違う。
心臓の一部しかみえないこともあるが、とにかく心臓はいつもとは違った様相を見せる。
人体とは大なり小なりそれぞれここに違っている。特に、体の表面と内部の臓器の位置関係は本当に患者さんによって激しく違う。
だから小さなキズで心臓の目的とするある部分だけを狙い済ます方法では、思ったとおりの視野で心臓を捉えることは難しい。
本当によく見えることもあるが、ぜんぜん見えないこともある。
ミッド・キャブはとにかく特殊な手術だ。
普通の冠状動脈バイパス手術(=CABG)では胸の真ん中をばっさりと開いて、心臓の表面のほぼ全域の冠状動脈の3箇所4箇所にしっかりとバイパス・グラフトを縫い付ける。グラフト一本しかつなぐ必要のない患者に、「大きく胸を開くのが申し訳ない」というわけで、「小さなキズグチで行きましょう」とミッド・キャブを行っている。
だが患者さんはみな異口同音に、
「大事な心臓の手術をするんですからキズグチは小さくても大きくてもどうでもいいですからとにかくしっかり確実に、そして安全にお願いします」
と反応が返ってくる。
小さいキズだと圧倒的に回復は早い。それにもし万が一、二回目の手術が必要になった場合でも、一回目の手術の影響はほぼない。大きく開ける手術をやると、もし万が一、二回目の手術が必要になったとき、心臓が周囲に完全にべったりとくっついてしまっていて、手術は難渋を極める。
そんなかんなで、いろいろ理由があって、私はミッド・キャブをやり続けている。
狭い視野でこっちは苦労するけれど、患者さんには確実にメリットが大きいと確信している。
その信念で、今日も和歌山から来た患者さんにミッド・キャブをさせていただいた。
だが冒頭で紹介したように思ったより視野が悪かった。と言うか、最悪だ。
「どうして自分はこの手術にこだわるのだろうか?」
頭の中を疑念が襲った。
「大きく開ければいいじゃないか!そら、メスを持って皮膚切開を広げよう!」
そんな誘惑が襲ってくる。
「でもこのままの視野で縫えるかもしれない。いや、しっかり見えるんだから、縫えるに違いない。でも糸が縛れるかな?指が入らないぞ・・・」
こんなときの論理的判断は全く当てにはならない。 そう考えながら頭の中にある冠状動脈自動吻合装置のスイッチをオンにした。
 小さな尖刀(せんじん)を手にした私の右手は右冠状動脈を切開し始めた。しっかりとした冠状動脈の内腔が確認できた。次に持針器をつかんだ手は、髪の毛よりも細い糸の尖端に取り付けられた細い針を血管の壁に刺入する。
私の心配をよそに、目の前でどんどん冠状動脈のグラフト吻合が進んでいる。
何も考えることがなくなった私は患者さんの郷里、和歌山について思いをはせることにした。

患者さんは和歌山の御坊からわざわざ神奈川県の私の病院にお越しいただいた。
和歌山の御坊は行ったことはない。だが知ってはいる。御坊のとなりには日高という土地もある。
小さいころ親に白浜温泉に連れて行ってもらったことがある。
白浜の海水浴場で父はモーター・ボートに乗ろうとしてた。
モーターボートは当事非常に珍しかった。「ええかっこしい」だった父は興味津々、操縦士の言葉に耳を傾けていた。
「あそこに見えるのが御坊(ごぼう)です。行ってみますか?」
こんな会話が聞こえてきた。
「ゴボウってなんやろ?」
次に御坊に出会ったのは予備校に通っていたころだ。友人が御坊の出身だった。
おもしろい奴だった。
医者になってしばらくのころ、御坊の醤油屋さんの娘さんだという大変に美しい女性にも会った。
御坊には小さな私鉄があり、ローカル鉄道ファンの聖地として知られている。
安珍・清姫の伝説の寺、道成寺のある場所として能や古い世代の人はご存知だろう。
この話は西湖に伝わる白娘子(パイニャンツ)の物語に似ている。
そんな事情で御坊や日高を知っていた。
今回は御坊、日高地域からの二人目の患者さんだった。
患者さんは患者さんをよんで来る。これは我々の業界の常識だ。
だが二人の患者さんは互いに全く知らない同士だという。
共通しているのはどちらも生涯を公務一筋に捧げて来た人たちだった。
聞いただけの知識、しかも断片的な知識。行ったこともないくせに、よく知っている土地になってしまった御坊。だがある土地を理解するには住んでみないと絶対にわからない。

大学に入ってまもなくのころ、私は大学の最寄の近鉄橿原線八木西口駅から下宿先の近鉄吉野線の「橘寺」という駅までの区間を利用していた。
私鉄の単線の小さな小さな駅だった。
そんな「橘寺」駅に25年経って行ってみた。駅前にはロータリーができ、タクシーが客待ちしている。駅名も「飛鳥」に変わった。
変わらないものもあった。駅の周辺の地形や空気の匂いだ。
だが真っ向から、正反対に違っていることがあった。
それは、駅を見る方向だ。 
かつて、生活に利用していた駅は、家から方向から見た風景の中にあった。
だがそんな駅でも久しぶりに「訪れた駅」は、駅を中心に見渡した風景の中にある。
同じような経験は、誰でもあるだろう。
自分の家は座標空間の原点だ。毎日乗り降りする駅はその平面の一点なのだ。
それが『住む』と言うことだ。

見る角度の違いのせいか、いつもの心臓の景色と全く違うミッド・キャブ。それも患者さんごとに違っている。情報は十分であるはずだし、同じ人間の心臓なのに。
情報があっても、見る角度が違うと違って見える。いや、いつもの情報が膨大にあるからこそ、それによって形作られた思い込みを、現実の限られた情報では修正することが間に合わず、だから小さな穴から心臓を覗き込んだとき、「違って見える」のだろう。
ちなみに心臓は私にとって、住み慣れた自宅の最寄の駅でもないし、10年ぶりに訪れたかつての「駅」でもない。「渋谷」や「梅田」や「金町」のような、いつも乗り換えに使う、勝手知ったる駅、なのだろう。

自分が行ったことのない土地で、それぞれの人生を歩んできた患者さんとして私の病院まで来ていただける。
これを「ご縁」と言うのだろう。
かの地はどんな気候、風土だろう?
どんな言葉をしゃべるのだろう?
どんな文化、風土なのだろう?
そんな中で患者さんはどんな人生を過ごしてきたのだろう?
患者さんもいろいろな人に会ってきたはずだ。
彼らの人生の劇場の配役として、自分はどれぐらいの「重き」を持って記憶に刻み込まれるのだろう。
何故なら私が手術した心臓は心臓のほうで勝手に回復したに過ぎない。
私は大したことはしていないのである。
かの地では地元の医師たちによって診断され治療も行われ、その過程で私の手術の登場となったわけである。オーケストラで言えば、はじめから終わりまで出番のあるヴァイオリンをかかりつけ医さんとするならば、出番は少ないわりには目立つファゴットのような存在が心臓外科医の役回りだろう。
そんなふうに、患者さんをとりまく大きな流れの中で、私と言う人間は、どんな存在だろう?
彼らの長い道のりの通過点として、これからもたくさんの患者さんが見知らぬ土地からやって来る。
患者さんと私は同じことを聞いても、違った感覚を思い起こす。
同じものを見ても、違って見える。
そんな人間同士が相対する。
実に尊い。

そんなことをつらつら考えていると、いつの間にかグラフトの吻合は終了していた。
次の患者さんはどこから手術を受けに来てくれたのだろう、わくわくする。

平成21年9月27日 南淵明宏

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